水際で生きてる

うつ病と診断されて二年経つとある人物の日記です。

蜘蛛の糸に縋りつきたい

11月2日 今日も病院の待ち時間は長かった。診察では自分は躁鬱かもしれないこと、ふらつくこと、便秘することを伝えた。薬を減らすか、躁鬱2型の薬に変えるか聞かれた。私に聞かないでほしい。それで、私が薬を選択し、体調がまた悪くなったら、家族にああだこうだと言われるのは私になるのだ。責任を負わせないでくれ。

気分はいいが、心底イラついている。人類全員滅べばいい。そんな気分だ。

 

躁状態でよくある、浪費するか、アイディアが次々出てくるか、ハイテンションだと言われるか、多弁になるかと聞かれた。

どれも全部答えは「うつ状態に比べればそうだ」である。どこからが普通のラインを逸脱しているのか分かりやしない。

 

なんやかんやあって、とりあえず薬は躁鬱2型でよく出るものが処方された。ひとまず医者は私を躁鬱だと判断したらしい。

 

帰ってきて仕事をしようと思ったが、時間が中途半端だったのと、私が愛想を振りまける精神状態になかったため、ブログを書いている。

こうして今日も極貧生活からは抜け出せない。

昼からは薬を取りにいかねばならないし、夕方は年金機構に行く。どれも気力を必要とする作業だ。

こうして、書いて自分の気持ちを整理しようとしているが、何も整っていない。好きなことをして気を紛らわせたいが、働かねばならない焦燥感に駆られる。というか、こんな社会の落ちこぼれが好きなことをしてはいけない気がする。

食事もしたくない。なにか自罰的な行動をとっていなければ気が済まない。

死にたい。

 

病院に行ったって、症状なんて軽くならない。

そんなこと、この2年で良く知ってるのにな。

精神病にも点滴が欲しい。頓服薬がそれにあたるのかもしれないが、私は残念ながら処方されていない。

今度、セカンドオピニオンを受けに行く。だが、もう期待することにも疲れた。

疲れたのだが、どうか、こんな状態から救い上げてほしい。

 

私はカンダタのように、蜘蛛の糸に縋りつきたい。

だが、今のところどんなに空を見上げても、私に糸は見つけられなかった。

社会の懐

11月1日 気分はいいが寝坊した。2時頃に寝て10時半ごろに起きた。遅めの朝食をとって、薬を飲んだ。その後しばらくしてから、ふらつくようになった気がする。

午後から母に連れられて従兄弟の家に行った。楽しく会話ができたのだが、私には早く家に帰って仕事をしたいという焦燥感があった。だが、家に帰れたのは18時前だった。

途中、私は早く家に帰りたいと母に伝えた。しかし、断られた。引き下がることもできたのだろうが、迷惑をかけたくなくて我慢した。仕事はできなかった。(正確には携帯でできるお小遣い稼ぎはしていたのだが、今日予定していたライブやデータ入力はできなかった)

正直、イライラした。

そのあとは、自分の性自認について友人たちと話して気を紛らわせた。

自分はどうやら、リスロマンティツクといわれる分類に近そうだと気が付いた。

 

寝起きの爽快感は最近は少ない。寝起きの良さはエビリファイという薬を処方されていた時の方が良かった気がする。

というのも、私はすっきり起きれたという経験を、エビリファイが処方されるまでほとんど経験したことがなかった。エビリファイがあれば、起きようと思った時間よりも前に起きられる。正直人生が変わったのだ。

それまでは、目覚ましアラームを何重にもかけ、モーニングコールを頼んでなんとか起きていた。正直、時間までに起きて登校や出社をするというのは、私にはものすごくストレスがかかる行為だったのだ。

怒られることが嫌いな人間であるため、遅刻するのはとても怖かった。

 

だが、エビリファイを飲んでからは、すっと目が覚めるのだ。朝の、あの布団の中でのけだるさがなく、未練を残さずに起き上がることができた。

あれ?これが、普通に出社できる人間の感覚なのか?遅刻に怯えて就寝する日々はなんだったんだ?この世の中の疑問が一つ解けた気分だった。起きれる人間というものは、どうやらこういう感覚らしい。

会社勤めを再開するなら、またエビリファイみたいなサポートは欲しいと思う。早く就寝しようが何しようが起きれないんだ、努力はちゃんとしているんだよ。責任感も義務感もある。でも、起きれないんだ。

 

堂々と遅刻できる性格でもなかったため、怯えながら日々を過ごしていた。また、そんな日々が返ってくるのか、それとも病気が寛解すれば起きれるようになるのか。まだわからないが、あの恐ろしい日々には戻りたくないなと思う。

 

きっと世の中には、怠けてるわけじゃないのに「普通」ができない人が、私を含め沢山いる。もう少し、社会の懐が広ければな、と思った日だった。

職業に貴賎なしとは言うけれど

10月31日 昨日ブログの整備をわからないなりにやっていたら、なかなか眠れず起きたのは11時ごろだった。その後は気分がいいし、活動的だったが、めまい、ふらつきはあった。明日外出予定を立てたが、正直不安だ。果たして私はちゃんと動けるだろうか。

 

今日は、仕事でオンラインでのお金のセミナーに参加した。

セミナー内容によると、これからの人生お金はいっぱいかかるようだ。さっさと死ぬしかねえなと思った。

 

というのも、今の私の稼ぎは月5万である。

実家暮らしでなんとか、生かしてもらっている状態だ。

実家に1万5千円入れて、自分の医療費や携帯代、趣味の書籍やゲームソフトの購入代金、たまに気分転換で食べるお菓子や飲み物代を支払って、とんとんか、ギリギリプラスになる収入だ。

ここしばらく、衣服や化粧品は購入してないし、美容室には行っていない。女としての終わりを感じる。

昔働いてた時代の遺産で、ギリギリ人の形を保っている状態だ。

 

そんななか、国民年金保険の支払い請求が来た。約10万。私の稼ぎの2ヵ月分だ。

こうして、また残り少ない貯金残高が減っていく。

私はあとどれだけ生きれるだろうか。金銭的には、そう長くは生きられない気がする。

働かなくてはいけない。だが、私にできる仕事は少ない。

今は、もう、使えるものはなんでも利用している状態だ。

 

前職は企画職だったので、アイディア力はあるほうだったのだが、うつの頭ではなにも出てきやしない。

大好きな創作も、もうなにも思い浮かばなくなって久しい。

身体は眩暈が頻発するせいで使い物にならない。通勤すら危ういだろう。

 

私に残されているのは、顔と知識と愛想だけだと思った。

だから、今私はアダルト行為禁止のチャットレディとしてお金を稼いでいる。(仕事はこれだけではないのだが、この話はまた後日させてもらう)

まだ新人だが、多少は稼げる。

少なくとも、必死にひねり出して何時間もかけて書いた記事を納品して、2000円をもらうよりは、ましな時給だ。

 

だけど、私はこんなことがしたかったのかと考えると、虚しくなる。

そして、こんなことをして恥ずかしいと考える自分にも嫌になる。

職業に貴賎なしと考えていたが、自分がどれだけ差別意識を持っていたか思い知らされたからだ。

 

キャラクターを演じて話すことは好きだ。

これが、遊園地のキャストだったら私はこの仕事に胸を張れただろう。

だが、なぜチャットレディではダメなのだろうか。

なぜ、この仕事を人に隠しているのだろうか。

 

そんな、葛藤を抱えたまま、私は今日も愛想を振りまいてきた。

 

ハッピーハロウィーン

こんな世の中クソくらえだ。

ブログを書きたい、と思い立った

ブログを書きたい、と思い立った。

10月の30日、朝晩が冷え込み手足が凍える頃だった。

世の中はコロナ禍がまだ燻っていて、ハロウィーンもなんだか盛り上がりに欠けている気がする。

そんな、世間の変化に取り残されるように、私は家に籠っていた。

 

うつになって、約二年が経っていた。
そんな人間には、コロナ禍で停滞する社会はある意味優しかった。
 
薬を変えて2週間。薬の量を調節して1週間。(連絡ミスによる無茶な減薬付きというおまけもある)
フラつきながらも気分がいい。身体は明らかに異常なのに、心は穏やかだ。
 
今になって、気づき始めた。わたしは双極性障害なのではないか?と。
うつではなく、躁鬱といわれるものではないかと、疑問に思うようになったのだ。
この、不気味な晴れ晴れしさのある気持ちは、いわゆる躁状態ではないだろうか。
 
こういう病気では日記をつけることがいいらしい。
だから、やる気のある今、このブログを始めようと思う。
どうせ日記をつけるなら、ついでにこれを生きた証にしたい。
無事治ったら笑い話にできるように。もし死んだなら遺書代わりにでもなるように。
 
10月30日 気分はよいがふらつく。仕事はできた。友達と話して楽しかった。母の理解は得られなかった。
 
私は、何者かになりたかった。